什宝(妙顕寺の寺宝として秘蔵する宝物)
●日向上人作
  「天目願満の祖師像(日蓮聖人像)」
天目願満の祖師像が奉られている本堂
天目上人が初めて宗祖日蓮聖人にまみえたのはまだ幼い頃のことだった。それから幾ばくもなく宗祖は入滅されたので、以後、日向上人に師事するようになった。
日向上人(1253〜1314)は、日蓮聖人の本弟子である六老僧の一人。天目願満の祖師像(日蓮聖人像)は、日向上人の作である。

●傅教大師作「鬼子母神像」
傅教大師作「鬼子母神像」
妙顕寺に奉安されている鬼子母神像は、傅教大師(でんぎょうだいし)の作と言われている。
傅教大師は、最澄(さいちょう)の諡号(死後の贈り名)。最澄(767年〜822年)は、平安時代の僧で、日本天台宗の開祖。
日蓮聖人が鬼子母神を法華経の守護神として大曼陀羅の中に勧請し、十羅刹女(じゅうらせつにょ)と共に諸天善神の中でも特に重視していた。
このことが、法華曼荼羅の諸尊の彫刻化や絵像化が進むなかで、法華信奉者の守護神としての鬼子母神の単独表現の元となった。その像は天女のような姿をし、子供を1人(末子の愛好とされる)抱き、右手には吉祥果(ザクロ)を持っている。

●宗祖(日蓮聖人)荼毘所灰および御真骨
日蓮聖人は病気療養のため、1282年(弘安5年)9月、身延山での9年間の生活に別れを告げ、生まれ故郷の常陸(茨城県)に湯治へ向かわれ、その道中、武蔵国池上(東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲の館に立ち寄ります。
日蓮聖人はその折、池上氏の館裏の山に建立された一宇を開堂供養し、長栄山本門寺と命名したのが池上本門寺の起源です。
日蓮聖人はその翌月、1282年(弘安5年)10月13日辰の刻(午前8時頃)、池上宗仲の館において61歳で入滅された。池上本門寺には、日蓮聖人御入滅の折の御荼毘所の地に「池上本門寺宝塔」が建っている。
妙顕寺には、日蓮聖人の荼毘所灰および御真骨が奉安されております。

●三十番神
三十番神
三十番神(さんじゅうばんしん)は、神仏習合の信仰で、毎日交替で国家や国民などを守護するとされた30柱の神々のことである。太陰太陽暦では月の日数は29日か30日である。
最澄(傅教大師)が比叡山に祀ったのが最初とされ、中世以降は特に日蓮宗・法華宗(法華神道)で重視され、法華経守護の神(諸天善神)とされた。
これは、京都に日蓮宗を布教しようとした日像上人(1269〜1342)が、布教のために比叡山の三十番神を取り入れたためである。
妙顕寺は、熊王丸筆三十番神画像を伝える。

HOME